吉貞145年の歴史 |
145年の歴史、そして未来へ。 |
事 業 を 拡 大 、 4 つ の 工 場 を 設 立 |
一方、一度は木材商を廃業したものの、貞造は1924(大正13)年、東京都墨田区本所に材木問屋吉貞商店を開業。しかし、この事業に2年で見切りを付けると、1927(昭和2)年には吉田製材所を株式会社化し、高崎市に吉田工業株式会社を設立しました。 貞造は、栃木県田沼町に第二工場(1930年)、高崎市芝塚に第三工場(1937年)、埼玉県秩父市に第四工場(1937年)と、次々に事業を拡大。貞造は事業欲が旺盛で、6年ほどで撤退するものの、1929(昭和4)年には株式会社吉田組を設立し土木建築業へも進出を試み、さらに1940(昭和15)年には、高崎市に北部運送会社を設立するなど、製材業を基盤に周辺産業まで含めて幅広く事業を展開していきました。 こうした事業手腕が評価され、1935(昭和10)年、貞造は高崎市木材商組合組合長に就任しています。 |
木 材 流 通 へ と 重 心 を 移 す |
戦争が終わると、統制経済の時代は終わりを告げ、企業合同は解散。吉田工業として再開しました。貞造とその長男であり、現社長の祖父・貞雄は、工場の規模により生産量が決まる「ものづくり」よりも、流通への可能性を見出し、製材業から木材の卸売業へと進出し軸足を移していこうと考えます。 まず、1952(昭和27)年には東京都足立区の千住木材市場に参加すると、翌年には高崎市高砂町に(株)高崎木材市場を開設しました。さらに翌年の1954(昭和29)年には、東京都江東区深川平野町に(株)吉田貞雄商店を設立するなど、木材流通への傾斜を高めていきます。 |
𠮷 貞 と し て ス |
吉貞としてスタート |
2003(平成15)年、(株)戸田橋木材市場を(株)吉田貞雄商店が吸収合併し、新会社(株)𠮷貞として新たに発進しました。 以降、つくば営業所開設(2004年)や中国大連にCAD部門進出(2005年)、1級建築士事務所(株)木家新を新設(2009年)。次々に新たな挑戦を行っています。 |
木材商として創業
北陸に出自を持つ初代・新三郎が吉田家に入り、群馬県松井田町で木材商「木屋新」を開業。このころは、山で切り出した丸太を商っていた。
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製材業に進出
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木材の卸売業に進出
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市場を導入
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株式会社戸田橋木材市場 戸田橋を開場(埼玉県戸田市)
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株式会社戸田橋木材市場、埼玉県熊谷市に第二市場を開設
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株式会社戸田橋木材市場、栃木県佐野市に第三市場を開設
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高崎に拠点
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𠮷田貞隆が代表取締役社長に就任、𠮷田貞雄が代表取締役会長に就任
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建材事業に進出
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プレカット事業に進出
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プレカット自社工場を開設
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株式会社𠮷貞に社名を変更
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茨城県結城郡八千代町に株式会社𠮷貞つくば営業所を開設
株式会社𠮷貞、不動産事業を新設 |
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中国に進出
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株式会社高崎木材市場を株式会社𠮷貞が吸収合併
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関連会社として一級建築事務所 株式会社木家新を新設
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𠮷田貞裕が代表取締役社長に就任、𠮷田貞隆が代表取締役会長に就任
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新プレカット工場設立
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