HISTORY

「𠮷貞147年の歴史」

歴史

147年の歴史、そして未来へ

私たちは1879(明治12)年の創業から一貫して木材流通に関わってきました。明治大正昭和、そして平成と長期にわたって木材業界とともに生き抜いてきたという自負を持っています。 戦後市場導入や平成になってからの建材事業、プレカット事業参入など時代の節目で木材業界の新時代を見抜き変革を重ねてきました。そんな𠮷貞を147年の歴史を振り返ってみましょう。

創業期 1879年 木材商、製材業を幅広く展開

北陸出身の初代・新三郎は婚姻によって𠮷田家に入り、1879(明治12)年、群馬県碓氷郡松井田町で木材商「木屋新」を開業したのが𠮷貞の始まりです。当時は、山から切り出した丸太を商っていました。
新三郎の三男・𠮷田貞造は、高崎市内で材木店に勤めた後、1905(明治38)年、松井田に戻り、家業の木材業を営んでいましたが、1911(明治44)に廃業。下仁田町に転居し、桐材販売業を営みました。
第一次世界大戦を経て1920年代になると諸産業が勃興。そんな時代を予見した貞造は、ものづくりに価値を見出し、1921(大正10)年、桐材販売業を辞め、下仁田町に𠮷田製材所を設立し、製材業に進出しました。

1879年 - 木材商として創業

北陸に出自を持つ初代・新三郎が𠮷田家に入り、群馬県松井田町で木材商「木屋新」を開業。
このころは、山で切り出した丸太を商っていた。

創業期 1921年 事業を拡大、4つの工場を設立

一方、一度は木材商を廃業したものの、貞造は1924(大正13)年、東京都墨田区本所に材木問屋𠮷貞商店を開業。しかし、この事業に2年で見切りを付けると、1927(昭和2)年には𠮷田製材所を株式会社化し、高崎市に𠮷田工業株式会社を設立しました。
貞造は、栃木県田沼町に第二工場(1930年)、高崎市芝塚に第三工場(1937年)、埼玉県秩父市に第四工場(1937年)と、次々に事業を拡大。貞造は事業欲が旺盛で、6年ほどで撤退するものの、1929(昭和4)年には株式会社𠮷田組を設立し土木建築業へも進出を試み、さらに1940(昭和15)年には、高崎市に北部運送会社を設立するなど、製材業を基盤に周辺産業まで含めて幅広く事業を展開していきました。
こうした事業手腕が評価され、1935(昭和10)年、貞造は高崎市木材商組合組合長に就任しています。

1921年 - 製材業に進出

現社長・𠮷田貞裕の曾祖父にあたる𠮷田貞造が群馬県下仁田町で株式会社𠮷田製材所を設立した。
その後、木材商と製材業を2本柱に営業していった。

創業期 1943年 戦時下、統制経済で合同会社に

製材業を中心にした事業展開は成功していました。しかし、昭和10年代に入り年を追うごとに、日本全体を戦時色が覆い始めます。1938(昭和13)年に国家総動員法が制定されると、総力戦遂行を目指し、すべての人的・物的資源を政府が統制運用できるようになりました。
経済の戦時体制下が急務となり、統制経済が進められていきます。多くの業界では合同による企業整備が強行され、都道府県単位で一つの会社にまとめられてしまうこととなったのです。
群馬県では、1943(昭和18)年、群馬県地方木材株式会社に統一され、一旦、𠮷田工業は廃業。貞造は、新会社の常務取締役製材部長に就任しました。

発展期 1954年 木材卸商として堅実に成長
木材流通へと重心を移す

戦争が終わると、統制経済の時代は終わりを告げ、企業合同は解散。𠮷田工業として再開しました。貞造とその長男であり、現社長の祖父・貞雄は、工場の規模により生産量が決まる「ものづくり」よりも、流通への可能性を見出し、製材業から木材の卸売業へと進出し軸足を移していこうと考えます。
まず、1952(昭和27)年には東京都足立区の千住木材市場に参加すると、翌年には高崎市高砂町に(株)高崎木材市場を開設しました。さらに翌年の1954(昭和29)年には、東京都江東区深川平野町に(株)𠮷田貞雄商店を設立するなど、木材流通への傾斜を高めていきます。

1954年 - 木材の卸売業に進出

現社長の祖父・𠮷田貞雄が工場の規模により生産量が決まる「ものづくり」よりも、戦後復興の時代をにらみ、流通への可能性を見出し、木材の問屋から木材の卸売業へと進出。商売の先進地・関西の「市場」に着目し、1954(昭和29)年、株式会社𠮷田貞雄商店を設立した。東京都内の千住(市場)や木場(問屋)に拠点を築いた。

発展期 1962年 市場を創設、急成長を遂げる

貞雄は、より内陸側に立地上の可能性を見出し、都内2カ所の拠点を埼玉県戸田市に集約しようと考えました。そして、商売の先進地・関西の「市場」に着目し、1962(昭和37)年、(株)戸田橋木材市場を設立。
翌年、戸田橋市場を開場。競り売りのシステムを導入しました。木材市場は高度経済成長下の勃興する住宅需要に合致し、業容の拡大につながっていきます。熊谷市(1970年)や佐野市(1972年)、高崎市(1974年)に次々と市場を創設。旺盛な関東地方の木材産業需要に対応しています。
旺盛な住宅需要の波を読み取ったことが功を奏し、木材流通を核に急成長を遂げることができました。

1962年 - 株式会社戸田橋木材市場を設立(埼玉県戸田市)

1963年 - 戸田橋市場を開場

1970年 - 熊谷市に第二市場を開設

1972年 - 佐野市に第三市場を開設

1974年 - 群馬県高崎市に本社営業所を開設

株式会社𠮷田貞雄商店は、群馬県高崎市に本社営業所を築く。創業の地、群馬を拠点に定めることとなった。

新展開期 1990年 木材・建材・プレカット
住宅資材の総合卸商へ

90年代に入ると住宅業界の動向に変化が生じました。木材の需要が減少し、新建材が増加。この状況にいち早く反応し、1993(平成5)年、𠮷田貞隆社長(現会長)は建材事業に着手し、企業としての成長を維持することに成功しました。 続いて、翌94年には外部工場と提携し、プレカット事業を開始しました。さらに2002 (平成14)年にはプレカットの自社工場を熊谷に設立。急速に進む住宅産業の変化に柔軟に対応することができました。

1990年 - 𠮷田貞隆が代表取締役社長に就任

1993年 - 建材事業に進出

建材事業に進出したのは、当時の住宅業界で新建材の使用が急速に増えつつあり木材の需要が減少を始めていたため、木材だけでは企業規模を維持できないという𠮷田貞隆社長(現会長)の考えからの決断。このことが奏功し、建材分野では他社を圧倒する取扱高へと成長していく。

1994年 - プレカット事業に進出

外部工場と提携し、プレカットの販売を始めた。プレカットは、後継者不足を課題とする家づくり業界の合理化・コストダウンのニーズに合致し、急速に需要が膨らんでいく。

2002年 - プレカット自社工場を埼玉県熊谷市に開設

プレカット事業に進出して8年、需要増の状況を考え、埼玉県熊谷市の第二市場敷地内への自社工場の開設に踏み切る。これが、大きなステップにつながった。このように急ピッチに住宅産業の変化に柔軟に対応した。

新展開期 2003年 𠮷貞としてスタート

2003(平成15)年、(株)戸田橋木材市場を(株)𠮷田貞雄商店が吸収合併し、新会社(株)𠮷貞として新たに発進しました。 以降、つくば営業所開設(2004年)や中国大連にCAD部門進出(2005年)、1級建築士事務所(株)木家新を新設(2009年)。次々に新たな挑戦を行っています。

2003年 - 株式会社𠮷貞に社名変更

株式会社戸田橋木材市場を株式会社𠮷田貞雄商店が吸収合併し、株式会社𠮷貞に社名を変更して新たなスタートを切った。

2004年 - つくば営業所を茨城県八千代町に開設、不動産事業を新設

2005年 - 中国大連にCAD部門(大連𠮷寿科技開発有限公司)を新設

中国大連にプレカットのためのCAD部門の大連𠮷寿科技開発有限公司を新設した。現在CAD部門の大きな戦力となっている。

2006年 - 株式会社高崎木材市場を吸収合併

2009年 - 一級建築士事務所 株式会社木家新を新設

耐震偽装事件の発生などを受け、木造の耐震構造計算に特化した木家新1級建築士事務所を新設し、取引先のためのより良いサービスの提供に徹している。

2012年 - 𠮷田貞裕が社長、𠮷田貞隆が会長に就任

2015年 - 新プレカット工場を埼玉県熊谷市に新設

東京オリンピックまでの建築需要増に対応すべく、最新鋭の設備を備えた新プレカット工場を埼玉県熊谷市に移転新設し、稼働力の大幅な増強を実現した。

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